歴史の謎 [陰符]

遥かなる過去 1-5
ギリシャ神話の 423 は、何を示したのか?
クフ、カフラー、メンカフラー
何故、この三人の王の名だったのか?
いや、どうしてこの三人の王の名でなければならなかったのか?
王名 高さ 底辺の長さ
クフ 146.7 230.36
カフラー 143.5 215.25
メンカフラー 65 102.2 × 104.6
クフ 8 28 36
カフラー 6 28 41 1 76
メンカフラー 34 33 76 143
143 はじめのちち 元父
メンカフラーは クフ の孫
36 + 76 = 112
3√1÷112 ~ 207 107
log 112 ~ 2049
113
113桁 107
112 - 107 = 5
オリオン座 107
423 とは オリオン座 の 三ツ星 のことだった
α γ αアルファ ペテルギウス
γガンマ ベラトリックス
δデルタ ミンタカ
ζ ε δ εイプシロン アルニラム
ζゼータ アルニタク
κカッパ サイフ
κ β βベータ リゲル
アルニタク クフ 3
アルニラム カフラー 2
ミンタカ メンカフラー 4
3 太陽系第三惑星 地球
2 二 金星
4 四 火星
直径km 質量kg 公転周期(年) 自転周期(日) 衛星
2 金星 12,103.6 4.869×10-24 0.615 243.0187 0
3 地球 12,756.3 5.974×10-24 1.000 0.997271 1
4 火星 6,794.4 6.419×10-23 1.881 1.02595 2
107 で オリオン座 に賭け
5 √5 ~ 223 で 元父 に懸けた
36 は 崩御月日 11月 25日 に懸けられていた
76 は 10 20(100)46 146 10
いざなぎのみこと 伊邪那岐命 子
カフラー は クフ の子
あなたは、この不思議をどのように理解出来ますか?
・
歴史の謎 [陰符]

遥かなる過去 1-4
何か探し当てろことが出来たろうか?
賢明な読者は「ギザ」の符解に照らし、クフ、カフラー、メン
カフラーの三人の王の名に注目したはずである。
伝承の隠し場所に神名、王名などの時代の変貌にも影響
されることの無い名称こそ最高の伝承格納庫である。
伝承符解の手始めは、「メン」の「メ」からとしよう。
実は、日本の古典三書 『 命書 』 の陰符符解に「め」は「名
13」の指示符に解かれているからです。
また「13」は神名数を示しますから、この場合の順列は
「13 名」
になります。
そこで、ギザの三基のピラミッドの主格がどれなのかという
問題を解かなければなりません。
そのピラミッドは、中央のスフィンクスを持つ カフラー王の
ピラミッドだったのです。
それについては、
「過去の中の未来」 夢の中 予知を手にする日は来るのか?
で触れました。
ギリシャ神話に、有名な「なぞなぞ」がある。
「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足の生き物はなにか?」
答え 生き物は 人間
朝 日の出と誕生を懸けている
幼児は、はいはいするから 手足 四本
昼 首を回すだけで昇った太陽を確認できる
立てるようになれば 足 二本
夕 ゆうべと人生の終りを懸け
老人は、杖をつくようになるから 足 三本
この 「なぞなぞ」は、スフィンクスが学芸の神ムーサより授けられたという。
ギリシャ神話の成立は紀元前700年ごろのこと。
作者は、ギザのスフィンクスとピラミッドを見てきたのだ。
不思議の向こう側を覗いて見よう。
ギ ザ
14 22 14×22= 308
1÷308 ~ 324
ギ ザ の重音を キサ と キサの清音に見る
キ サ キサ
7 11 18 × 18 = 324
これらの数符は、ギリシャ神話からのことではない。
『万葉集』 の説いていたことである。
1-4 に示した
『万葉集』 巻第六 934 番歌
あさな ぎに かぢおときこゆ み けつくに のしまの あま の ふねに しう ら し
朝名寸二 梶音所聞 三食津国 野嶋乃海子乃 船二四有良信
これは、陰符基本学修を要求する陰喩である。
三 二 四
終りは始めなり 四 二 三
5句 し うらし
し いち に さん し の 四
うら 裏返しの うら であり
視点の意義変換の義でもある
四 うら 始
四 二 三
ナイル川に面した、スフィンクスを右に河岸神殿を左に見たピラミッドは、423
である。
324 は、さながら裏側からの直視順列である。
しかし、「うら」はそのことに懸けていたかのようであるが、誘導符であってそこ
に求めていた符解は違っていた。
歴史の謎 [陰符]
遥かなる過去 1-3
追記
数符に見る log 54 の神名符解を示して置きましょう。
log 54 ~ 17323937
239
7 3
10 3
13
この時 この 7 は
左の 3 を指示符と見れば
2・5 の積 10 → 2・5・3 の積 30 → 10 の 3乗 1000
1 は ひとつ 65 いなり (始母)
1013 +239 = 1252
1252
倭奴邪馬臺国 妃皇 239
1013
高御産巣日神 192
821
倭奴邪馬臺国 天皇 244
伊邪那美命 164
天照大御神 210
武甕槌之命 203
元父 対比
倭奴邪馬臺国 天皇 247
伊邪那岐命 146
天照大神 181
経津主之命 168
742
天之御中主神 192
934
2186
54 の数符の一つに
10 → 21 名
30 10 4 304
はじめのちち 143
はじめのはは 161
これらのことを詠んだ歌を 『万葉集』 に見る。
誤解の無いように理りを言えば、4516首 の歌は、一首たりとも解読されたことはない。
現在、一般に歌として身勝手な解釈などがされている。しかし、それらは、私心による解説
というもので、先祖が伝えようとした事の解釈ではない。
そのことを証明するかのように、未だ 巻第一 1 番歌 の訓みさえ解明出来ていない。
『万葉集』 巻第六 934 番歌
あさな ぎに かぢおときこゆ みけつくに のしまの あま の ふねに し う らし
朝名寸二 梶音所聞 三食津国 野嶋乃海子乃 船二四有良信
誘導符 初音符 あ か み の ふ
あ の ふ か み
基本符 六 むつつ 69 つくる
神名 なら ひみこ
数符 69 は 239 へ変換出来る
1 2 3 4 5 6
ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ
ひ ふ み よ い む
いち に さん し ご ろく
あ の ふ かみ
1 25 2 神
1252
高御産巣日神 192
1013
倭奴邪馬臺国 妃皇 239
821
かみ
632
1 ÷ 632 ~ 15822784810126
821 が訓める
数符 8 はち 26 17
20+(6×10)= 80
7 3 × 4 = 12
10 × 2 = 20 10 10
10 3 × 7 = 21
(80×10)+21= 821
残るは 1252
7 8 きく 始母 の 本名
1012 + 1 = 1013
821+192 = 1013
核心は 810126
2186 が訓める
10 60 30 20 10 を作り
二千百八十六
934 + 1252 = 2186
あさなぎに なに きう に あと ぢ
かぢおときこゆ 何 に 後
みけつくに 9 34
のしまのあまの この符が 934 番歌 の由来
ふねにしう らし
ぢ を囲む おか は と
みけ は 239 の隠語の一つ
倭奴邪馬臺国 妃皇 は 臺與
と は 臺 で みささぎ
さ 11 に 22 さ11 が二つ
この文字符が理解出来れば
みささぎ を結字出来る
2186 の擬態指示は
みささぎ 68 に見て
なぎ と く か
と く か
20 8 6
10 25 100 な く か
10 21 8 6 2186
この誘導符により、
ぎ
14 30 4 20 8 6
誘導符の実践である。
2186 - 1252 = 934
巻第六 934 番歌 の中の、絶対神数符解のみ。
歴史の謎 [陰符]
遥かなる過去 1-2
不可解なことを書くようになりますが、実は アメン の対比は日本の伝承に照らせ
ば アマン である。
アメ は男、 アマは女。
アメン 68 かとり 香取
アマン 65 いなり 稲荷
現在では、香取神宮、鹿島神宮である。
何時の時代に稲荷から鹿島へ変化したかは、今も不明である。
京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各地にある稲荷神社の神道上の総本社
となっている。
稲荷神社は、全国に 6万社以上あり、その中には異質な神社もある。
祭神は、稲荷神、宇迦之御魂神(うかのみたまかみ)
『万葉集』 が解くのは
稲 荷 現在の訓み いなり
い ね
2 24
48
う ワ行 ウ
う か
54
び 高御産巣日神 の び
log 54 ~ 17323937
173 239 37
239 倭奴邪馬臺国 妃皇
210 天照大御神
log 173 ~ 2238046103
223 と示されれば、元父 崩御年
20 46 146 伊邪那岐命
残された 60 后 の絶対呼称 臺與
元父は 倭暦 174年成婚 33歳 妃皇 18歳
生誕は 141年 17庚辰
崩御 223年 39壬寅
103 北斗七星 に祀られた 臺與 は
生誕 156年 32乙未
崩御 230年 46己酉
古くは、稲荷神 とは うかのかみ と言ったのだ。
このような陰符懸符が仕組まれた名であったことなど、今は誰も知らない。
稲荷の 狐 きつね 49
鹿島 かしま 49
第二 歌音図 ゑ 49 ひ も せず (古傳称よみ)
恵 妃 喪 せず
このことに照らすだけで、恵妃 は 鹿島に祀られた神となる。
これを解けば、隠れ宮 香取 68 の意味も納得出来よう。
アメン
モーゼ
キリスト
ムハンマド
アモン貝
古代は謎だらけである。
歴史の謎 [陰符]
遥かなる過去
アンモナイト、3億5000万年前後に生息した頭足類の中の平らな巻き貝。
アンモナイトとは「アモンの石」という意味だという。
なんと、日本語にも「アモン貝」の異名がある。
アメンホテプ4世(在位紀元前1364年~1347年頃)はアモン神官たちを否定、トゥ
トアンクアメン(アテン)と改名、アテン神(唯一神・万物の創造主)への宗教改革を
断行した。
結果は、アメンホテプ4世の死後アモン神官たちが再び復権、アメンホテプ4世の
名を歴史から抹殺した。
そのことが、アメンホテプ4世の娘アンケスエンアメンと結婚して王位継承者として即
位したツタンカーメンも、1922年11月4日その墓がイギリスの考古学者、ハワード・
カーターによって発見されるまで未知の存在だったのだ。
歴史にはそのような事実も隠されていることを忘れてはならない。
3000数百年も歴史の闇の中に眠らされていたのだ。
その歴史の闇の中の出来事に、モーゼのエジプト脱出(聖書「出エジプト記」)があ
る。
モーゼには、アメンホテプ4世の縁者であるとか、養子だったというような伝承があ
る。
「出エジプト記」に符号させるようなエジプトの伝承は存在しない。
いかに、その歴史の抹殺が徹底していたかを物語る。
アテン神信仰から、唯一神信仰、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が生まれている
のは皮肉である。
古エジプトは多神教とされているが、王と王妃の像に継承されている真の姿は男女
二神の崇拝ではなかったか?
王位継承に、女性優位とされた血の継承に男女二神の信仰の証明があるのではな
いか。
日本の陰符『命書』が伝えているのは男女二神である。
![sinriyoku[1].jpg](/_images/blog/_4a8/54u/sinriyoku5B15D.jpg)
〔付記〕
「貝」とは「陰部」の隠語の一つ。
ア モ ン ひ み こ
1 35 33 27 32 10
69 69
「預言者」
モーゼ (ムーサー) ユダヤ教
キリスト (イーサー) キリスト教
ムハンマド ( ? ) イスラム教
モ ー ゼ
35 5 28 68
キ リ ス ト
7 42 13 20 82
ム ハ ン マ ド
33 26 33 31 40 163
これを解くかぎは「サー」にある
163-(サ・11+ -・1ア)= 151
正式の名は、ムハマンド・イブン=アブドゥッラーフ
151-イブン・91= 60
最初に掲げたのは アツラー
( ? )は
(イブン・アツラーサー)
だったことになります。
『命書』の伝承
陰符 臺與 (とよ)
77 74
天皇 天皇
あめみこ あまみこ
ラ ム ウ (いろは伝承)
82は天皇 (あめみこ)の 倭暦 223年 82歳 崩御年齢
68は「あしひきのやま」に解いた
秘名 - 1 = 山・67
= 1 + 67 (後述)
隠れ宮 香取 68
ア メ ン
1 34 33 68
この遥かなる過去の伝承との数字が示す謎は何か?
源氏物語の謎 十一 [源氏物語]

陰符 紫式部の世界
一話 二話
『源氏物語』(みなもとうじのものがたり)が、
第一の言葉 『三書(みつのふみ・『記・紀・葉』)の 物語』
第二の言葉 『物語 は 藤原 麴(ふじはら きく)』
に読まれるところまでは示しました。
みなもとうじのものがたり
290
みなもとうじ
135 135 の
みつのふみ 134 1 25
三書 の 物語 26
は
物語 は 藤原 麴
この解読を指示していたのが、
『源氏物語』二帖「ははきぎ」
1番歌
手ををりて あひみしことを かぞふれば これひとつやは 君がうきふし
2番歌
うきふしを 心ひとつに かぞへきて こや君が手を わかるべきをり
この歌に「変わるべきこと」という言葉を添えています。
後文に、
「龍田姫といはむいも、つきなからず、七夕の手にもおとるまじく、そのかたをぐして~」
「いとあはれ」と思ひいでたり。
さらに、後文に
「~月をみる。菊、いとおもしろく~」
符解の片鱗を紐解けば、これまで解釈として語られて来たことが如何に意味のない
ことを述べて来たかが明らかになります。
「手ををり」とは「手」は手のひらのことで
「かぞふれば」「かぞへきて」には
手の指を折り、数をかぞえることを示していたわけです。
「そのかたをぐして」
この符解で歌の解釈が定まります。
「をか」とは現代語では『墓』のこと
臺 塚(冢) 稜
タイ チョウ リョウ
は、すべて「をか」(おか)である。
『祖の臺(をか)具して立て』
の・25~100
か た を ぐ し
16 50 50-46=4 4×16=64
30 20 100+64=164 伊邪那美命
46 と 100+46=146 伊邪那岐命
わ
かぐわし て・19~あかし
『祖の香し臺明かし』
いとあはれ
『伊都 阿波 禮』
この言葉には『命の掟』があります。
陰符解読を許された者にしか踏み入ることが出来ません。
おもしろく も・35
15 20
おそろし 77 秘密
言命掟
音誦 いういのちおきて
『言命掟説く』
前の解読誘導示唆
月を見る 菊
「月」漢音「ゲツ」
ゲ ツ
18 18 18×18=324
示唆は「菊」
なぜ漢字なのかといえば、
『万葉集』に「仮名きく」と明示されていたからである
324
164 74 74 12
あまみこ
『天皇 伊邪那美命 死 74』
2番歌の「手」の解釈指示は、1番歌の初音符に
手 あ か こ き
「こ」は「子」に見れば「し」
「あか」を「朱」(シュ)に見れば初音は「し」
「赤」(呉音シャク)初音は「し」
(漢音セキ)に見れば
「せ」は「さ行音」
「き」は第二音であるから、さ行では「し」
こ き
10 + 7 = 17 ち
「知」は「しらし」初音「し」
「き」を「支」(漢音キ)に見て漢呉音「し」
て あ か
19 - 1 - 6 = 12 し
実は、ここに示したすべてが符解に関与して行くのです。
解説共ども本数冊分にも及ぶことを述べ連ねることになります。
もっとも大切な部分だけを示しましょう。
2番歌 4句 「こや君が手を」 166
1÷166 の立方根 ~ 1819549901
「こ・10」を指示符に見ているから 10桁
まず、この句が、1番歌の4句に結ばれていたことの確認
「これひとつやは」 181 『紀』に 「3 181」 を解いていること
「こや君~」の「こや」の「子」とは、始祖にとって子孫はすべて「子」
「や」は符解解析符
log 36 ~ 1556302500
1×(5+5)=10 30+6=36
「こや」の指示語は、10・36 だったのである
そこで前の符解に「91」をみれば「や」は「也」で「陰部」
すなわち、『陰符』 が目的の答えである
ならば、
10 + 500 + 2 = 512
前符解 1819549901
から 91 が除かれ
4~2 2 2+9+9=20 10×10=100
1+8+1+2+(5×100)=512
『先祖が私たち子孫に伝えることのすべて』 (512)
これが、『源氏物語』の真実です。
読者のみなさんの疑問は、平安の世にそのような数学知識が継承されていたか?
ということになると思います。
たしかに、わたくしも平安の世を見てきたわけではありませんから同様です。
しかし、「かぞふれば」「かぞへきて」と堂々と明記しています。
今、現代の学識によって全く解読出来ないという事実に照らせば、極秘にされた『陰符学』の
継承が秘密の闇の中で途絶えたということであったとも推測できます。
実は『源氏物語』には、まだ隠された言葉がありました。
み な も と う じ の も の が た り
290
129 161
いのちのふみ はじめのはは
『 命 書 始 母 』
『妃皇 伊邪那美命 本名きく 倭暦230年12月15日 死 天照大御神』
紫式部こと藤原 麴(きく)は 天延2〈974〉年12月15日の生まれだったのです。
字母の真実 [仮名]

追記
字母を隠した陰符
この『陰符』は「秘密による擬態」と狭義に用いた例である。
古典の中の和歌は、真実を言えばまったくその意味もわからな
い枕詞や句が多数存在したままに継承されてきました。
しかし、それを解読しなければ仮名の正しい字母を知ることが
出来ないように仕組まれていたのです。
そんな歌に、私釈を与えて無理やり意味付けして来た例を上げ
てみましょう。
枕詞 「やすみしし」
『古事記』 98・104番歌
『日本書紀』 63・76・102番歌
『万葉集』 3・36・38・45・50・52・152・155・159・204
239・261・329・917・923・926・956・938・1005・
1047・1062・3234番歌 (22)
『広辞苑』 やすみしし【安見知し】〔枕〕(心安く天の下をしろしめす意)
他の辞書もほぼ同じである。
この解釈が、いつのころから踏襲され使われて来たかも不明なのです。
明確に言えば、踏襲する以外に解釈が出来なかったということになります。
和歌には、現在の知識では対処不可能な 『陰符』 の秘密を守るための擬態工作
が施されていたのですから、もっともな事と言えるでしょう。
『葉』
50番歌 八隅知之 吾大王
52番歌 八隅知之 和期大王
「やすみしし わがおほきみの」
二首とも同じ読みになります。
しかし、現状の読みでは、
52番歌は 「わごおほきみ」です。
それ以外に読みようがなかったのです。
「期」漢音「キ」呉音「キ・ギ」
「末期」(マッキ)すえの時期、終わりの時期
「末期の水」(まつごのみず)死に水
この「ご」は特殊慣用音で「わご」(和期)のように用いられる音ではありません。
「期」をなぜ「が」に読むことが出来るかと言えば、「陰」の符解に「き」が「3・4」
の数で示される例に懸けられていたわけです。
3×4=12 か・6 の 重音は「が」
陰符学の知識なくしては解きようもなかったことです。
『葉』 3番歌 「我大王乃」(わがおほきみの)
『葉』の場合は『記・紀』とは違い、幻惑を目的とした文字故意の削除法
が使われていたのです。
45・50・52番歌などの 5句がその典型です。
「吾大王」
「日之皇子」 「日乃皇子」
これらの削除欠字は、それぞれ
3番歌 2句 「我大王乃」(わがおおきみの)
239番歌 5句 「吾日乃皇子乃」(われひのみこの)
に照らして削除欠字を修復することになります。
ただし、別の揶揄が組まれていた例も示しておかなければ
なりません。
『記』 28番歌
多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美
たかひかる ひのみこ やすみしし わがおほきみ
『葉』 239番歌
八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃
2句までは解決していますから、3・4句へ進みます。
45・50・52番歌には 3句が
高照 日乃皇子
このよみに懸けた歌がただ一首あります。
690番歌 「照日乎」(てらすひを)
ただし、多くの歌集は「照月乎」(てるつきを)
なぜ、「日」が「月」へ換字されたかというと、「日の皇子」
とは「妃の皇子」すなわち『妃皇』を示していたためです。
「妃」は「女」で「陰」であるから「月」と。
「よみ」(黄泉)は「陰」 「生」は「陽」 「死」は「陰」
それを証す懸符も組まれていました。
690÷10=69 ひ・27+み・32+こ=69 妃皇
10 は 「姫」(コ・キ・ひめ)
では、なぜ 28番歌が 239番歌に結ばれたか?
実は、先の解読になりますが、28番歌は本当は29番歌として詠まれていたこと
を隠していたのです。
log 29~146239
146番歌
後将見跡 君之結有
のちみとむ きみのむすべる
符解の約束で、このように詠まれたと解きます。
現在の学識にはこれを解く学修は存在しません。
146番歌を確認の上、239番歌への照合となります。
高 照 日 乃皇子
てらす ひ
これ以外の訓釈はありません。
「光」は「照」の「ひかる」の訓を「光」の擬態文字として惑わし
ていたことになります。
「やすみしし」
『記』 98番歌 「夜須美斯志」
104番歌 「同じ 」
28番歌 3句 「同じ 」
97番歌 6句 「同じ 」
『紀』 63・97番歌 は紀特有の漢字が並ぶ
76番歌 「夜須瀰斯志」
102番歌 「夜須瀰志斯」
『記・紀』 はほぼ同一の用字に纏められていたと判断してよい。
意味の探りようもない文字列のままで、解釈は『葉』に定まる。
『葉』 巻第一 3番歌を初めに
「八隅知之」
絶対多数を占めている。
これを追っていても解読の糸口も得られない。
38・204・917・926~番歌
「安見知之」
これらの句に注目させたのは仮名である。
「安」は平仮名「あ」の字母 「知」は「ち」 「之」は「し」の字母。
「見」だけがなんら関係のない文字となる。
まだ、求めるべき歌に辿り着いてはいないのだ。
そこで、陰符の符解法の一つ、『数符』探索法を用いる。
や・36 す・13 み・32 し・12 し・12 和 105
巻第二 105番歌
吾勢祜乎 倭辺遣登 佐夜深而
この歌の符解から指示文字 「而」 を得る。
「而」 漢音「ジ・ドウ」 呉音「ニ・ノウ」 慣用音「ジ」
「而父」(ジフ) なんじのちち
「而公」(ジコウ) なんじのきみ
「而今」(ジコン) いまよりのち
「而立」(ジリツ) 三十歳 論語「三十而立」
「而厲」(ジレイ) はげますがごとし 詩経「而厲」
「ジ・24」 が懸符とすれば 「42・リ」「理」(ことわり)となる。
これにより、2句は「やまとへとやり」の訓になる。
われせこを やまとへとやり さよふけて
「理」 105-42=63
「や・36」は「63」の逆数指示だったのだ。
巻第十九 4263番歌
梳毛見自 屋中毛波可自 久左麻久良
多婢由久伎美乎 伊波布等毛比氐
くしもみじ やなかもはかじ くさまくら
たびゆくきみを いはふともひて
隠しも見じ 也名かも白自
「陰符のなも教えなかった」 「自・じ」は「而・じ」の示唆
「而」を解くことが出来たから、ここへ来たと~
「隠しも見じ」 は 「隠した文字見」である
「たびゆくきみを」とは
「ここから探し歩くお前を、斎ふであろうと思いて」
ここでは、
「私(始祖)に乞いながら探し育み明かすと思っている」
そのように、解くべきでしょう。
すぐに、4266番歌 11句 「安美知之」
を探し当てる。
この四文字は仮名字母漢字である。
「安」 省画 片仮名 「ア」 草体 平仮名 「あ」
「美」 省画の変体 片仮名 「ミ」 草体 平仮名 「み」
「知」 省画 片仮名 「チ」 草体 平仮名 「ち」
「之」 草体の異体に「泗」(シ)のさんずいを仮借
片仮名 「シ」 草体 平仮名 「し」


四文字すべてが、片仮名・平仮名の字母だったことは難問を
重ねられたかに思える。
しかし、周辺の探索によって予測通りの示唆を得た。
その、予測とは、1句前の
10句は 「国所知等」
「くにしらさむと」
1句は 「安之比奇能」
「あしひきの」
20句 「安可流橘」
「あかるたちばな」
4270番歌 4句 「座牟等知者」
「まさむとしらば」
4254番歌 9句 「安母理麻之」
「あもりまし」
25句 「安夫左波受」
「あぶさはず」
45句 「安夜尓貴左」
「あやにたふとさ」
4274番歌 4句 「国所知牟等」
4263番歌 4句 に「美・み」は見ている。
4258・4262・4268番歌 にも「美・み」である。
安 ア あ 八 や
隅 す
美 ミ み み
知 シ し 知 し
ラ ら
之 シ し 之 し
これが、伝承符解の真実である。
また、このような陰符擬態は数えあげれば限がない。
それを解読出来ていない現実が古典和歌(やまとうた)の
の実態である。
ふしぎ [過去の中の未来]

玉手箱 四
真実を知ってしまうと言うことは皮肉である。
それまで信じられ語られて来た世界が崩壊して行く現実の目撃者となるばかり
ではなく、事後の清掃と伝承の正しいあらたなる構築の責を負うことにもなる。
その伝承に異議を唱えることなど許されない。
先祖は、自分の遺伝子の中に宿っているのだ。
争うこともなく自己崩壊だけの報復を受けることになる。
如此云う、わたくしも綱渡りに等しく未知を語り明かしていることになります。
すでに示したように『記・紀・葉』三書を 『 命書 』 と呼ぶことに悟らなければなりません。
しかし、わたくしは始祖に親しんでいます。
あなたも現実に、先祖の恵で今を生きています。
生きているという事実を再認識することです。
・・・・・・・・・・・
いざなぎのみこと が あめてらすおおかみ
いざなみのみこと が あまてらすおおみかみ
という はじめのちち と はじめのはは であることは明かしました。
さて、そこからを知る前に、これまで示したことを幾度も復習してください。
同時に、
『おまえは私に親しんでいたかい?』
などと問われることのないように先祖に親しんでください。
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ふしぎ [過去の中の未来]
玉手箱 三
須佐之男命の名を懸符に組んでいた歌は数多い。
枕詞だけからでも、次のような歌が探し出せます。
歌番
さごろもの 3394
さのかたは 1928 1929
さのやまは 3473
さひのくま 1109 3097
さほかはの 525 529 1123 3010
さをしかの 953 1547 1580 ほか10首
この中に「さの」を見ることで「佐之」(さの)が確定語であるという確認が要求されています。
須 佐 之 男 命
す さ の を の みこと
「すさの」の「の」は、「をの」と続く助詞「の」ではないということです。
『宋史』 日本伝
「雍熙元年(北宋第二代太宗、円融永観二年〈984〉)日本国の僧奝然(ちょうねん)が ~
本国の『職員令』『王年代記』おのおの一巻を献じた」
この『王年代記』には、
初めの主は天御中主と号す。~十五世省略~
伊弉諾尊次は素戔烏尊次は天照大神尊~
本来、この『王年代記』なるものは言及に値しない書である。
素戔嗚尊(『紀』)は人名ではなく、事跡擬態名なのだ。
また、天照大神(あまてらすおほみかみ)とは、祭祀神名で人名ではない。
この二つの名は、王統譜には記されることはないからである。
す・13
1÷13 ~ 769230
「7 230 69」
これは、他の符解とあわせ
『7年の後、230年 妃皇死す』
であれば、
230-7=223
のように解かれる。
さ の
11 25
をのみこと (137)
オリオン座 (107)
log 30 ~ 14771212
『万葉集』 巻七 1212番歌
足代過而 糸鹿乃山之 桜花 不散在南 還来万代
ただすぎて いとがのやまの さくらばな ちらずありなむ かへりくるまで
ちらずありなむ (181) あめてらすおほかみ
かへり くるま で
77 82 38
『 天皇 82 神 』
巻八 1477番歌
宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山辺 来鳴令響
うのはなも いまださかねば ほととぎす さほのやまへに こなきとよもす
さほのやまへに (184) さ ほ の
3 181 11 25 「30」の符解に符合
「 有 一百八十一 」 『紀』
こなきとよもす (146) 伊邪那岐命
この句の絶対符は、第二 歌音図 の解読を済ませていること。
『 恵 妃 喪せず 』 (公にはしなかったとの意)
こ な き と よ も す
臺 奴 姫 臺 與 喪 す
妃・姫・后 は同義文字
『 臺(みささぎ)に 奴(な)の后 臺與 喪す 』
『後漢書』 「倭奴国」
『隋書』 「倭奴国」
『旧唐書』 「倭国は古の倭奴国である」
『宋史』 「日本国は、もと倭奴国である」
『古事記』の、伊邪那岐命が黄泉の国(死者のくに・あの世)へ伊邪那美命を連れ戻しに行く
逸話は実伝承と相違する記述である。
その「陰」の伝承は、
伊邪那岐命
倭暦141年 6月25日 生誕
223年11月25日 崩御 82 歳 天照大神
伊邪那美命
倭暦156年 3月27日 生誕
230年12月15日 崩御 74 歳 天照大御神
と記している。
ふしぎ [過去の中の未来]
玉手箱 二
須佐之男命は「陰」の記述でも、異質な重複表現の中にあります。
そこで、絶対確定記述が「陽」の
『須 佐 之 男 命』
『 吾は、始母 天照大御神 の 夫 なり 』
言うまでもなく、『 天照大神 』だと名乗ったことになります。
これまで、この名の実態を疑った人は誰一人いなかったのですから
この陰喩は見事に惑わし抜いたと言えます。
『記』に明記されていた、自分が誰であるかを表明した名乗りの記述
さえ正しく読まれることはなかったわけです。
それどころか、天照大御神の「御」の脱落記述として「あまてらすおほ
みかみ」と読まれてしまったのです。
もっとも、読めていたならそれこそ大騒動でもあったのです。
『記』の解釈は天地が逆になったかと思わせるほどに変化します。
『宋史』 日本伝
雍煕(ようき)元年(北宋第二代太宗・円融永観二年
〈984〉)日本国の僧奝然(ちょうねん・東大寺)が、~
本国の『職員令』『王年代記』おのおの一巻を献じた。
~
その年代記に記すところに云う、初めの主は天御中主
と号す。~十五世省略~次は伊弉諾尊次は素戔烏尊
次は天照大神尊 ~ 二十七世
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は『紀』に伊奘諾尊とある。
素戔烏尊(すさのをのみこと)は素戔嗚尊とある。
天照大神尊(あまてらすおほみかみのみこと)は天照大神
とある。
この『王年代記』なるものが、かなり曖昧な著者によって編
まれていたことになります。
なぜなら、天照大神に尊の文字を加える誤りを犯している
ことと、王統譜などには出て来るはずもない「素戔嗚尊」と
「天照大神」の名を書いていたことによります。
「素戔嗚尊」は事跡引用擬態名。
「天照大神」は祭祀神名。
王統譜への記述は正規の尊号だけである。
これらに照らしただけで、怪しげな『年代記』となる。
宋史の撰者脱々も漢字に誤ることはなかったにしても、
そのような世界までは踏み込むことはしていない。
素戔嗚尊(須佐之男命)とは?
天照大神(天照大御神)とは?









